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大丈夫ですか」という言葉に意識を取り戻した。オートバイに乗った方は診療所の先生だった。その場では何の痛みもなかったので、近所の方々が立ち会い、そのまま過ぎてしまった。
その後、ニヵ月半ほどして私は腹痛のため入院した。二時間後に産声も出さずに生まれたのが七ヵ月の直幸である。数時間後に直幸は瀕死の状態となり、紫色に硬直した。肉のかたまりをほぐすような調子で、お医者さんは懸命だった。
そのとき、お医者さんは、「育てる自信がありますか」と言われた。私は、「はい」と一言。その一言でかすかな泣き声とともに、直幸の一生が始まった。一ヵ月近くも入院、退院してからも、あまりの小ささに、産湯をさせることもできず、お産婆さんに長い間お世話になった。
その間、母乳はあり余るほどあったが、吸う力がないのでどのようにして飲ませたか、思い出せない。弟が特注のベッドを作って、直幸の両側に一個ずつ、足元に一個の湯タンポで体温をあたためた。湯タンポを外すと、体がつめたくなるので慌てたこともあった。
抱っ子やおんぶもできない状態で一年近く過ぎたころ、自分の力で手足をかすかに動かすようになった。毛布で窒息寸前となったこともあった。離乳食らしきものもない時代で、どんな食事法をしたのだろうか。二年近くも過ぎようとしているのに、未だ立ちも這い這いもせず、支えてやっと座れる状態であった。
三年もすぎたのに足を突っ張ることができない上、言葉もない。「もしや小児マヒでは」と、千葉と東京の病院を紹介されて訪ね歩いた。内蔵や心臓の悪いところはなく、外科的にも

 

 

 

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